ごあいさつ
今日は母が帰天してからちょうど2年が経ちました。帰天日は2021年11月10日です。
仏教では3回忌というのでしょうが、キリスト教ではそれにふさわしい言葉は無いようです。
家族はまるで法要する気はないようで、また、私自身あまり声を出せず、長時間立てませんので、忌日として容易に法要できる状態ではありません。
そのため、せめてこのブログにて故人を忍び、供養とさせていただきたいと思います。
今年に入ってから、ブログで途中まで母の経過を書いてきましたが、途中からなかなか書く気になれませんでした。それは、やはり母が無くなる直前の様子は、私としても気持ちが重くなるからです。
しかし、これを機会に少しは母の帰天時の様子を報告できると思いますので、ぜひ僅かではありますが書かせていただきます。
帰天時の様子
11/2ごろに、母とたくさん会話しました。そのときの様子はビデオを撮影しています。これは、いつかここで公開できればと思っています。そのとき母は、「神は~」とキリスト教の話や神の偉大さなどを話していました。
11/8は、親戚のCさんが一人でホスピスに訪れて、私にネット中継してくれました。そのとき母とはネット越しに少し会話できました。
私は母が臨終のとき、きっと「お前は良い子だ」といってくれるだろう、と以前から思っていました。
ところが、そのとき母に私が言われたことは次のセリフです。
「あなたがいてくれて、お母さん幸せだった」
なんて嬉しい話でしょう。臨終の母の言葉として、これ以上嬉しいセリフはありません。
ホスピスの人の話によれば、私がいるときと、そうでないときで、母は全然元気が違っていたといいます。
次の日の11/9ですが、ホスピスの看護師から母が危篤状態という連絡を受けて、親戚のCさんと一緒にホスピスに向かいました。
すると、その日は「うん」とか「ちがう」とか、その程度の返事しか母はできませんでした。少しだけ話はできたと思いますが、ほとんどはYES、NOだけの意思を示せる返事でした。
こちらから、一方的に話しかけることが多かったです。
次の日の11/10の朝、看護師さんから電話がかかってきて、母が帰天したことを知らされました。
看護師さんによれば、母は直前まで元気な様子でいて、おだやかな表情であの世に向かったとのことです。
私からすれば、おだやかに母があの世に向かうことができて、それがせめてもの救いです。
みなさまへ
生前、皆様方には母が大変お世話になりました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
なお、いまだにたまに母は夢に出てくることがあります。
夢のなかでは、リアルに今生きているかのようです。また、会話内容は何かすごい情報が提供されるとかではなく、たわいもない日常会話といったところです。
しかし、しばらく会話して「生きてるはずがないのに、なぜ生きている?」と気づくと、そのあとは目が覚めるというパターンです。
とてもリアルで、今は魂となって生きている、と私に教えてくれているのかもしれません。
東大医学部の元教授の矢作直樹先生や、米国ハーバード大学教授だったアレグザンダー医師も「人間は死後生き続ける」と、医学的な立場から解説する人が増えています。
母があの世で元気で暮らせていることが何よりの私の喜びです。
帰天日を記念にして「生前はありがとう」といいたいと思います。