荒井和美と数字の不思議なお話

荒井和美の誕生日:昭和13年1月11日
長男の誕生日:11月13日
みなとみらいコンサート:2000年11月13日
※長男の誕生日に合わせた可能性が否定できません。
ホスピスの住所:横浜市港南区大久保1-11-13
亡くなった日:令和3年11月10日

ここまで数字が似ていれば、果たしてどこまで選んだ数字だったのか、偶然にしてはよくできていると思います。

愛する歌

荒井和美がよく家で歌っていた曲をご案内致します。

・初恋(石川啄木)※歌は奥田良三先生
・さやかに星はきらめき
・ハレルヤ(ヘンデル)
・みははマリア(カトリック聖歌)
・アヴェマリア(カッチーニ)
・アヴェベルムコルプス

このなかで初恋は特別に愛している曲で、よく歌っていました。師匠の奥田良三先生が歌っていたことに影響を受けたようです。
写真や遺影の前で歌われると本人が喜ぶかもしれません。

Youtubeでキーワード検索されますと様々な人が動画を出していますので、それぞれ閲覧されますとより深く知ることができると思います。

荒井和美の人を惹きつける魅力の秘訣

荒井和美が生前多くの人から慕われ、人を惹きつけた理由の秘訣は何かを分析してみました。

人のために尽くす

荒井和美はたとえ人が見てないところであっても、人々のために尽くすことを大切にしていました。

荒井和美の母、原ウタ子が長男に語った話によれば「ママはね、本当によくいろいろ家のことを手伝ってくれる、いいママだよ。和美一人で全部やってくれることが多い」と言っていました。

原家は5人兄弟で7人家族でしたので、そのなかで率先していろいろなことを尽くしてきたその姿勢は、後の荒井和美の人格を形成しており、原家の家族での生き方は、荒井和美の原型といって良いかもしれません。

わが家でも料理はもちろん、家族に尽くすことを大切にしていました。

とにかく人に尽くすことを大切にしている姿勢は人一倍あると言って良さそうです。

荒井和美の人生は歌とともにありました。

歌を歌うことで、感性を養うことができ、心が豊かになります。また、人間本来のパワーと元気が出ています。

荒井和美の歌への情熱は強く、その歌への情熱が魅力的な雰囲気を作っていた一面もあります。

また、ストレス解消にも歌は大きな役割を果たしていましたので、歌は荒井和美の魅力を大きく引き出していたといえるでしょう。

荒井和美はよく「歌は心を込めて歌う気持ちや感情が大切」と言っていました。

ただテクニック的に歌うのではなく、いかに気持ちを込められるか、そこに歌の奥義があるようです。

イエスキリスト・アヴェマリアへの信仰

イエスキリストやアヴェマリアへの信仰はたいへん熱心でした。

神への祈りを大切にしていましたので、祈りを通して神や天使とつながり、その霊的なつながりが荒井和美の魅力的な雰囲気を出していたといえるでしょう。

信仰心のある内面的な雰囲気が外に表れて、荒井和美の魅力につながっていたと思われます。

明るい性格

明るい性格なので、ストレスをいつまでも抱え込まないところがあります。

血液型がB型なので、その典型といって良いかもしれません。

死者のための祈り

荒井和美は死者のための祈りを多く捧げていました。

煉獄(霊界の高くない層)で苦しんでいる人のために、魂が救われるように祈りを捧げていました。

荒井和美によれば、その魂が救われると、今度は祈ってくれた人を助けてくれるとのことです。

詳しくは「あの世について」にて書いておりますのでぜひご覧いただけましたら幸いです。

既に亡くなられた両親への祈りも捧げており、先祖からのバックアップも相当得られていたのではないかと思われます。

よく、一般的に日本での成功者は神棚を祭って大切にし、先祖供養をしっかりしている人が多い、と言われることが多いですが、荒井和美はキリスト教式にそれを実践していたといって良いでしょう。

よく人と会って会話する

外交的な性格なので、外出して人と会って会話することが好きでした。人との交流を大切にし、人と会うことを何より楽しみにしていました。

そのため、人が好きなので、多くの人からも好かれていたのではないかと思われます。

普通は仲良くならないような場所でさえ、人と仲良くなってしまうのですから、普通の人にない魅力があったのは間違いなさそうです。

たとえば、上大岡のホスピスにいるときに、大船の歯医者さんがお見舞いにわざわざご訪問され、1万円相当するマヌカハニーをプレゼントされたり、よく受けているレッスンの講師の方と仲良くなったりなど様々です。

長男の私は小さいときに、上記の方とは違う汐留の歯医者さんから地球儀をプレゼントされましたが、普通はありえない光景かと思います。