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そのため、ご訪問いただくことは私への糧、そしてなにより母への供養として受け取らせていただきます。
そこで、母の帰天について長男からひとこと書かせて頂きます。
ご訪問されている方の中には、「和美さんが亡くなって悲しい」と思われている方は多いのではないでしょうか。もちろん、それは私も同じです。
しかし、その悲しみはだいぶ薄れてきて、今では母の帰天を受け入れて、「あの世でがんばってね」という前向きな気持ちに変わってきています。
人はいつか・・・
人はいつか必ず死ぬ運命を背負っています。ご存知の通り、それは、この世に生きている人すべて例外なく定められています。
よく省みてみると、母もいつかは帰天する運命であったわけです。
仮にまだ母が生きていたとしても、おそらく90歳~100歳の間には亡くなっていた可能性が高かったと言えるのかもしれません。
人の命が500年や1000年まで続くのが通常であれば、いまだに悔やまれてならなかったかもしれませんが、仮に助かったとしても、あと10年程度の寿命だった可能性が高いといえそうです。
ということは、遅かれ早かれ、仮に母が生きていたとしても、結局約10年後には必ずといっていいほど、帰天していたわけで、同じ悲しみをそのときに体験していたことでしょう。
結局、どの道を辿ろうと、避けて通れない、ということなのです。
また、83歳の寿命までまっとうできたので、日本人女性の平均的な寿命に近いと言っていいでしょう。
そういう意味では、この年まで生きていてくれてよかった、と思うこともできます。
この年まで生きてくれてありがとう、荒井和美さん。
ホスピスでの出来事
去年の母の様子は引き続き、またいつか記事にする予定ですので、ホスピスでの出来事はいつか記事にする予定です。
そこで、改めて詳しく書く予定ですが、とにかく母はホスピスに多くの荷物を運びました。
その荷物の量といえば、相当スゴい量です。5段の洋服ダンスを親戚の人に購入してもらい、洋服ダンスすべてに洋服が入っている状態でした。そこまで必要?と思えるほどでした。
また、荷物も非常に多く、まるでホスピスに引っ越しでもしに来たかのような荷物の多さでした。
その状態のなか、母の死亡日に、ホスピスから「明日までに必ず退去してください」と言われました。なんでも明日までに退去しないと困る、万が一、間に合わなければ違約金がかかる、とのことでした。
いきなり「明日退去」って、どれだけ一方的なんだろうか?遺族の都合とかまったく理解できないのだろうか?と思いました。
そういうわけで、大量の重たい荷物を、段ボールに梱包して、引っ越し業者に頼まないと運べないほどでした。
親戚の手伝いがあったお陰でなんとか助かったものの、長時間立てない私にとって、あの荷物の量を私ひとりではとうてい無理な話です。
”荷物を大量に持ち込んだ母”、そして”明日までに退去しないと困りますと主張するホスピス”
この両者によって、引っ越し作業は大変でした。またゴミは持ち帰らないといけないので、荷物と一緒に運んだほどです。
この作業により、だいぶ体力を消耗しました。
私の体力ではギリギリでしたので、引っ越しで相当疲れました。長時間立てない私の体力にとって、これ以上はキケンと思えるほどのレベルでした。
私は慣れない車いすを使いながら、なんとか親戚の方に指示を出して分別していただきました。
もし、この作業を10年先にやっていたら、と思うと、年齢的なことを省みて相当大変だったと思います。下手すれば、親戚がそこに居合わせずに、退去の作業で私の健康を損ねていたか、あるいは退去できず、トラブルに発展していたかもしれません。
また、場合によっては、引っ越しが大変で私が倒れていた可能性さえあります。
そうなると、葬儀にも支障をきたしていた可能性があります。
そういう意味で、まだ私がある程度体力あるうちに母が亡くなってくれたことで、無事に退去できて、母や天が無意識に助けてくださったのかもしれない、と思える部分も少なからずあります。
なので、個人的な話ではありますが、母が去年亡くなったことでマイナス面だけではなかったという印象です。
葬儀・納骨式
葬儀や納骨式にいらっしゃった母のご友人の方々は、母と年齢が近い方も多いので、なんとか参加できた方もいらっしゃいます。
あと10年遅かったら、もしかすれば中には体力的にご出席できなかった方も多かったでしょう。
とくに、納骨式がさびしい式にならずに済んだのも、この時期に母が帰天したからこそ、といえそうです。
そのため、無事に母の追悼をしてくださった方が多いので、あの世できっと母は感謝していることでしょう。
母はさびしい葬儀や納骨式より、ある程度の華やかさを求めていましたので、それが実現できたことは母の望みでもあったかと思います。
長く生きていたら・・・
母が長く生きていた場合、それは確かに1番良かったことには間違いありません。
しかしその一方で、代わりに去年帰天したことによるプラスの面もありますので、母へは「今までありがとう」と感謝して供養したいと思っています。